渡邊木版美術画舗の沿革

渡邊木版美術画舗の沿革

明治42年(1909)
3月25日
東京・京橋五郎兵衛町(現・中央区八重洲2丁目8番)で「渡邊木版画舗」(通称「渡邊版画店」)の看板を掲げ、浮世絵研究をはじめ、版元として木版画の制作、浮世絵商として浮世絵木版画の売買を行う。輸出向版画、クリスマスカード、カレンダーなどを木版画で制作する。
大正4年(1915)

復刻木版画を挿入した国内初の浮世絵研究書「木版浮世絵大家画集」を出版。オーストリアの画家、フリッツ・カぺラリーと共に新版画の第一作を制作。橋口五葉と共に翌年にかけて日本人画家による新版画第一作「浴場の女」を制作。

フリッツ・カペラリー「黒猫を抱く女」

橋口五葉 「浴場の女」

その後、伊東深水、川瀬巴水、笠松紫浪、山村耕花、名取春仙、高橋弘明、チャールズ・バートレット、エリザベス・キースなど新版画を共に制作する画家が次々に登場。

大正6年(1917) 浮世絵木版画の研究会「江戸絵鑑賞会」(のちの国際浮世絵学会に繋がる)始まる。オリジナル浮世絵版画と共に、浮世絵愛好家へ頒布会形式で新版画を販売。
大正6年 伊東深水の「近江八景」を制作。翌年の郷土会(鏑木清方門下生の展覧会)で発表し、川瀬巴水が風景の木版画制作に加わる。
大正10年(1921)6月 「新作板画展覧会」を日本橋白木屋で開催。それまで制作した新版画作品を225点展示する。
大正11年(1922)5月 「第2回新作板画展覧会」を日本橋白木屋で開催。伊東深水の「新美人十二姿」の制作(翌年完成)を始める。
大正12年(1923)
9月1日

関東大震災発生。被災する。再開するまでバラックで便利瓦の販売と木版画制作を始める。
庄三郎は残った版画を持たせ、川瀬巴水は102日間の生涯最大の旅行へ出かける。この旅行をもとに「旅みやげ第三集」28図(昭和4年完成)が制作される。巴水の「東京二十景」が大正13年(1923)から制作され、昭和5年(1930)に完成。

川瀬巴水「馬込の月」

川瀬巴水「御茶の水」

川瀬巴水「芝増上寺」

川瀬巴水「荒川の月(赤羽)」

大正14年(1925)
4月25日
京橋から現在と同じ銀座8丁目6-19(当時は日吉町14)に移転し、営業を再開。
大正14年

名取春仙「創作版画春仙似顔集」36図を頒布会形式で刊行。昭和4年(1929)に完成。大好評で昭和4年から「春仙似顔集追加」を昭和9年(1934)までに15図制作。

名取春仙「六代目市川寿美蔵 権八」

名取春仙「六代目尾上菊五郎 早野勘平」

名取春仙「七代目中村福助 お染」

名取春仙「お富」

大正15年 小原祥邨が渡邊版新版画に参加する。
昭和4年 伊東深水「現代美人集第一輯・第二輯」(24図 昭和11年完成)の制作を開始。
昭和5年(1930) 米国・オハイオ州トレド美術館において「Modern Japanese Prints(現代日本木版画展)」と題した渡邊版中心の新版画展覧会が開催される。
昭和6年(1931) 大震災の時に持ち出した資料を基に、長年庄三郎が研究を続けて来た「浮世絵師伝」発行。
昭和6年12月 成富規(ただす)長女・初江と結婚、婿養子・渡邊規となる。
昭和7年(1932) 4月 「第3回現代創作木版画展覧会」を日本橋白木屋で開催。大好評となる。
庄三郎の日記によると、「初日7000人、三日目木版画実演9,000人以上、延長し七日目一万人以上。購入金額日本人95%洋人5%。
庄三郎、家族、巴水夫妻、紫浪、祥邨、江逸、摺師斧銀、斧由、斧彦、彫師常田、高野、総勢16人で打ち上げをする。」と国内で好評だったことが記載されている。
昭和8年(1933) 9月

ポーランド・ワルシャワで「国際木版画展覧会」が開催され、伊東深水、川瀬巴水、名執春仙、小原祥邨の4人の新版画作家の作品が選ばれ出品。祥邨の花鳥画に967枚もの注文が入る。

小原祥邨 「柘榴にオウム」

小原祥邨 「つがいのインコ」

昭和11年(1936) 1月に米国トレド美術館で1930年以降に制作された新版画だけで再度「Modern Japanese Prints」が開催される。
昭和12年(1937) 渡邊規、満州へ出征。(昭和15年に復員)
昭和14年(1939) 三階建ての店舗に新築。
昭和16年(1941)

上野(鳥居)忠雅の「隈取十八番」(全19図)を制作。
戦事中にもかかわらず大好評。続隈取十八番も制作されたが、昭和19年(1944)に戦局悪化の為、8図で中断となる。

上野(鳥居)忠雅「筋隈」

上野(鳥居)忠雅 「和藤内に図」

昭和18年(1943) 渡邊規、ハルマヘラ島(現インドネシア)へ再度出征。(昭和21年に復員) 12月23日 株式会社渡邊木版美術画舗と社名変更し、初代代表取締役に渡邊庄三郎就任。
昭和20年8月 終戦。翌日店を開けると、すぐに進駐軍が大勢買物に来店する。
伊東深水・川瀬巴水も新版画制作に復帰する。
昭和26年(1951) 名取春仙の「新版舞台之絵姿」を刊行。昭和29年(1954)25枚が完成。
昭和27年 文部省文化財保護委員会では新版画の制作工程を記録し、版木や作品、資料も含めて文化財として保存することになる。画家は伊東深水と川瀬巴水が選ばれ、翌年「髪」(深水)と「増上寺の雪」(巴水)が制作される。
昭和29年(1954) 2代目渡邊規が「版画懇話会」を開く。現代創作版画家を招き、会員同士が作品を持ち寄り、作品の品評や、彫り・摺りなどの疑問点を会員同士で教え合った。時には伝統木版画の職人から伝統木版画の技法を学ぶなどの勉強会を定期的に開催し、創作版画と伝統木版画の融合を図った。創作版画家の中山正・天野邦弘・関野準一郎・海野光弘・舩坂芳助・佐野隆夫・藤田不美夫・高木志郎など重鎮から若手まで多数が参加。昭和41年(1966)まで続く。
このころから店頭でも浮世絵と新版画だけでなく、現代創作版画も販売するようになった。日本橋三越の出店では現代創作版画を中心に販売する。
昭和33年(1958)12月3日 渡邊章一郎誕生。 渡邊規が映画「版画に生きる 川瀬巴水」(自費制作)を完成させる。
昭和34年(1959)11月3日 渡邊庄三郎、それまでの浮世絵研究と普及、新版画の創案などの功績が評価され、紫綬褒章を受章。
昭和37年(1962)2月14日 渡邊庄三郎逝去。 渡邊規が二代目代表取締役に就任。
昭和49年(1974) 渡邊規「渡邊庄三郎伝」を出版。
昭和50年(1975) 前年に逝去した岩田専太郎の木版画を制作。
昭和54年(1979) 毎日新聞社より渡邊規編・楢崎宗重解説の「川瀬巴水全木版画集」出版。
昭和57年(1982) 「川瀬巴水展」が日本経済新聞社主催、銀座松坂屋店で開催。
平成2年(1990) 「川瀬巴水展」山梨県立美術館等で巡回開催。
平成4年(1992) 「伊東深水前木版画展」町田市立国際版画美術館などで巡回開催。
平成5年(1993)
3月10日
渡邊規逝去。 渡邊章一郎が三代目代表取締役に就任。新版画のオリジナル版木による後摺木版画制作に力を注ぐ。現代アート・松浦浩之氏の木版画制作、アートフェア東京にも出店。
平成21年(2009) 「よみがえる浮世絵 うるわしき新版画展」江戸東京博物館で開催。
平成25年
(2013)から27年(2015)
千葉市美術館・高島屋日本橋店などで「川瀬巴水」展。
令和3年(2021) SOMPO美術館・八王子夢美術館・山形美術館などで「川瀬巴水」展が巡回中。
令和4年(2022) ひろしま美術館・茅ケ崎市美術館・秋田県立近代美術館などで「THE新版画 版元・渡邊庄三郎の挑戦」展が巡回中。